MENU

なぜ僕は大義名分のない巡礼をするのか

大義名分などない。

サンティアゴ巡礼に対して確たる目的も意義も何も持つ必要性はないと考えている派だ。

ミーハーにやるのも良し、

観光としてやるのも良し、

宗教的意義を求めてやるのも良し、

自分探しでも良し。

各々が思い思いにやるものなのだと思う。

僕自身はどうだろうか。自分でも良くわかってない。

サンティアゴ巡礼のことを初めて知ったのはスペイン語の参考書だった。

その時は「へーこんなイベントがあるのね」程度にしか思わなかったものだ。

これ↓

僕は何かを巡礼に求めているのか。

あまり自分の中で明確に言語化はしていなかったし言語化する必要性も感じていなかった。

しかし「どうしてそんなことするの?」と聞かれることが度々会ったので、今ここで可能な限り言葉をひねくりだして言語化してみようと思う。

今回の巡礼のコンセプトを無理矢理出すとすれば「less is moreの追求」と言えるかもしれない。

less is moreとは少ないほど豊かという考え方だ。

常々、僕は自分にまとわりついている思考、行動の贅肉を取り去りよりシンプルに生きたいと考えている。

ただし、貧乏でいい。コスパ礼賛という話ではない。

僕自身は仕事は思いっきり頑張りたいし、色んな楽しい経験をしたい。前提として人間の欲望を肯定し利用しながら楽しく生きたい。

ただ、それでも自分の外部の評価に過度に自分を委ねたくないと言うのがある。

社会的動物ゆえ放っておくと知らず知らずにこびりついてくるヘドロのような思考癖を剥がしたいと考えている。

それで、だ。

リュック一つでひたすら歩き、ひたすらに汗臭いすし詰めの宿で毎日過ごす巡礼は余分な思考癖をひっぺはがす意味において役立つと思っている。

あんまりまとまらないが頭に浮かんだことを適当にメモ代わりに書きなぐってみた。

追記)基本less is moreだが、美味しいご飯はたらふく食べる予定笑 遊びまくるぜ笑

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

コメント

コメントする

目次